
能は今からおよそ650年前に生まれた現存世界最古の演劇です。
しかもただ古いだけでなく当時の台本・演出をそのまま伝え、能面・装束までもが今の使用に耐えうると言う特殊な演劇です。
多くの演劇は、最初は斬新でも、社会が変わり、道徳・通念が変われば、やがて観客に飽きられ、新しい形態へ変わらざるを得ないという宿命を背負っています。
しかし能は650年もの間、舞台・台本・能面・装束・楽器・演出・作曲・振り付け・セリフの発声・発音まで、昔の面影を色濃く残す、世界でもきわめて珍しい演劇です。
能を一度も観たことがない人の、能に対するイメージは「つまらないもの」「退屈なもの」「眠くなるもの」のようです。
演劇というものは通常、あるストーリーやテーマと、それによって伝えたい何かを表現するものです。
一般の演劇、また古典芸能の歌舞伎などの場合は、言葉が聞き取れなくても、大がかりな背景やセット、身振り手振り、表情などで状況が十分わかります。
それに対し、能の場合、何を言っているか分かりにくい、動きは少ない。泣くという感情表現も手のひらを額にかざすだけ。「能面のような顔」というくらいで、能面は無表情であり、面をつけない役柄の登場人物も、表情は変えません。しかも、ストーリー上では何百もの軍勢が登場するものでも舞台には2〜3人。場所がどこでも背景は松。どんな大宮殿でも工作で造ったような作り物がおかれるだけです。
しかし、能が退屈でつまらないものなら、何百年もの間、衰退することなく、形を変えることなく、今に残ることはないはずです。
実際に「能好き」と呼ばれる方に、なぜそんなに「能」が好きなのかと聞いてみても明快に答えてくれる人はあまりいません。
能を観る人の心を打つ大きな要素は、舞う姿や形・謡を通して、演者の心、気迫、すなわち眼にみえない内面のエネルギーに依る処が大きく、能の能たる核はそこにあります。その演者の気迫を舞台上から直接感じることで、観る人の芸術的直感力が刺激され写実的な演劇以上に印象深く、受ける感じも倍加するのです。素晴らしい演能もテレビ画面を通してみると、気が抜けたように見えるのはそのためです。
つまり、観る人のそれぞれの心の中にある感じたいものを引き出すのが能の鑑賞ということになるので、その観る人自身の感じる面白さを人に伝えるのが難しい、しかし観る人自身には面白いという現象が起こります。
一方でその舞、謡、囃子は、手法が簡素であるために、一般の人にも習いやすくなっています。そしてこれを習ってみると、初めは異様に感じる動き、謡の節、囃子の一クサリの中から、ふと気持ちのいい芸術的な感銘を受けることがあります。単純に見える動きに、古人の創意工夫を感じたり、素っ気なく思われた謡に、洗練された人間の感情表現を感じるなど、その人の素質に応じ、稽古に応じて、次第次第に深く感じるようになり、昨日の食わず嫌いが「能好き」となるわけです。
すなわち能は非常に芸術的であると同時に、他方で親しみやすいものでもあります。機会があれば、是非体験をしてみることをお勧めします。
明治時代以降、海外にも広く紹介された能は、各国の知識人、演劇人から絶賛され、彼らの活動にも影響を与えました。1950年代から行われるようになった海外公演も定着し、外国でも能楽を実際に見る人たちも増えてきました。こうした高い国際的な評価を背景に、世界無形文化遺産に指定されています。